2005年11月25日

赤の結末

35hoozuki.jpg


離れていても

淋しくないって

嘘をつくのに

疲れたの







昨日、放送だった 女の一代記 ” 瀬戸内寂聴 ”
私の周りでも 結構楽しみにしていた 友達も多く
りえちゃん良かったネ〜♪ の 話で盛り上がりました。

ドラマの内容は 寂聴さんの波乱万丈な 半生を描いたもので

年下の男性と恋に墜ち 子供と夫を捨て 家を出たのはいいんだけれど
その 年下の男の人が 迎えに来てくれるのかと思いきや
彼に即決は 出来ず
どんなに好きだの 愛しているの 言っていても
実際、生活していくとなると
二の足を踏むんだなぁ・・だけど
そんなもんなんだろな・・

次に 不遇の作家と出逢って
半同棲生活を始めるのだけど
彼には 妻子もあって 藤沢の自宅から
東京の彼女の家には 週に3日、通う生活。

それでも 半分は自分の所へ来てくれるから
りえちゃん演じる 晴美さん(寂聴さん)は とても幸せそう。
超〜ラブラブ〜♪ なのに、
だからと言って その作家さんは
晴美さんが 全てだという生活には 踏み切らない。

「夫婦になって 四六時中一緒にいるのもしんどいものよ。
たまに逢えるのがいいのよ。」
と 大家さんが 優しい言葉をくれる。
彼女も そこのところはよくわかっているのか
笑顔で 「そうですよね^^」と答える。

けれど いくら愛し合っていても
彼は 特別な存在みたいに言うけれど
結局は どっちつかず、あっちとこっちの半分半分。
あっちも大事、こっちも大事。
全身全霊で 愛してもらえている訳じゃない。

無償の愛のつもりで 相手を愛そうとしても
やっぱり つらいものは つらいし
淋しいものは 淋しいんじゃなかったのかな・・

昔 愛した年下の彼が またひょっこり姿を現すと
ふらふら・・と 彼ともまた こっそり逢うようになってしまいます。

半同棲の男性に 正直に打ち明けて謝罪すると
「こっちこそ、すまない・・・。」
淋しくさせてしまっていることを 自覚しているのか
自分も同じだから 責める権利もないというのか
その 言葉も 本当に淋しいものだなぁ・・と思いました。

結局、晴美さんは 彼と奥さんと自分との
奇妙な関係に 自ら終止符を打とうと
さよならの手紙を書きます。
彼は 狼狽して ”一緒に死のう”と いうのだけど・・・

”君と一緒に生きる”とは 結局最後まで 言ってもらえなかったんですよね。
それが 全てだったんじゃないかと
そんなことを思ってしまいました。

年下の彼も 会社の若い女の子と 結婚をしてしまうし。
無償の愛のつもりで 誰かを一生懸命愛しても
結局、誰一人として 自分を丸ごと 受け止めてくれる人はいなかった。

いろんな都合があって、いろんな事情があって
って そゆとこからは 目をそらしてでなきゃ 手に入れられない愛。
なんだか そんな風にしか 受け取れませんでした。

愛ってなんだろねっていう 話が出たので
ちょっと書いてみたんですけど
一番凄い愛って 生活を伴って
それでも ”お互い”を 愛しているといい切れる
そういうのじゃないかな・・なんて ことを思いました。

疲れる愛、無理が伴う愛を(寂聴さんは 違う単語を使ってましたが。)
究極の愛です。と言い切っていいものだろうか・・
その先に 穏やかな愛があって
そこまで 行き着ければよかったのに・・
そんなことを思いました。


生活をずっと共にして
相手をいたわる気持ちもなくなって
心の中で 相手を見下して それでも一緒にいればいい
って そういうのは 穏やかな・・とは いわないですけど。(笑)





posted by うさこ at 20:05| Comment(13) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 はじめまして、通りすがりの者です。

 生い立ちから、せめて自分の周りにいる人だけでも幸福にしたい、…なんて考えて生きていた私ですが、何度努力してもなかなかうまく行かなかったことから、本当の幸福とは何なんだろう…なんて、富に悩んでしまうことが多くなりました。

 そこで、主観的なものはおいておいて、人類…といった大きなスケールで客観的な見解で、道理を追って考えてみると…。

 人の幸福とは、人の数ほど様々なものがあり、多種多様にあると思うので、私は個人個人が置かれた環境に適した中で小さな幸せを見つけることが一番の幸福なんじゃないかと思います。


 例えば、お互いの物事の見方や考え方、価値観が違っているものであるのなら、必ず衝突したり、お互いがその違いに苦しむこともありますし、おかれている環境や現状に対して、さらに大きな欲求を持ってしまえば、苦痛が生じることになります。

 一番の幸福は、自分の性質を十分に良く知ること、相手の性質をよく知ること、そして、今置かれている環境や状況の中から幸せを見つけること、なのかもしれません。

 辛口にいってしまえば、現代社会に生きている私たちは、いつのときも、いくつもある選択の中から自分で選べるという自由があります。その選び方が、適していても適さなくとも、望みが叶っても叶わなくても、本人が選んだことなのだから、「それが、あなたの選んだ幸福だ」と考えることも出来ます。

 また、主観的な心理というのも千差万別なので、どれが幸福なのか? …と考えると、難しいものと思います。

 誰にでも言えることと仮定すれば、世の中には産まれつき不自由な人もあれば、衣食住に恵まれず生きるのがやっとという人もいます。そう考えれば、五体満足そろって健康な肉体を持ち、衣食住に恵まれた環境であれば、それほど幸福なものはない…となります。

 私たちは、恵まれすぎた環境の中で生きてきたために欲望や煩悩だけが先走りし、生きるための最も大切なものを見落としているのかもしれません。

 上記までのものは、勿論、あくまでも客観的な視点で、自分の気持ちとは別です。

 ……。難しいですね…。


 もし、今あなたが疲れているのなら、無理しなくていいと思います^^

 自分に嘘をつくのではなく、もっと自分をよく知り、気持ちより自分という一人の人間を大切にすることだと思います。

 無理せずに、今は心を癒す場所を見つけることが先決で、まずは心を癒すといいと思います^^

 元気が出たら、自分を生かせる存在を見つけて、そこで幸福を見つける、…というのはどうでしょう?^^

どうか、お幸福に…。

幸運を祈ります…^^
Posted by 通りすがりのコウノトリ at 2005年11月25日 21:17
通りすがりにコウノトリさん、初めまして^^

えっと・・ 正直、幸せについては
あまり 深く考えていませんf^^;

ぶっちゃけ 幸せになりたいっ! とかいう願望も あまりありません。
”幸せ”を 放棄しているという意味じゃぁないですよ。

幸せだなぁ・・としみじみ思う瞬間が あります。
それは その時 そう感じる
私にとっての 幸せは ただそれだけでいいのです。

幸せって、 幸せになりたいと願ってなるものじゃないと思っています。
コウノトリさんの仰る通り、自分を大切にし
そしてまた 周りの存在を尊重し その中で
ふと、幸せだなぁ・・と感じる瞬間があれば
それでいいと思っています。

例え あ〜 私ってなぁんて不幸;;(笑)って
思う瞬間があったとしても
その時間も 自分の糧になる
大事な時間だと思うので
幸せだけに 重きを置きたくはないのです。

疲れているかと聞かれれば
疲れているけど ハイチオールC、飲んでいるので
ばっちグーです。(笑)

最後に・・ 書こうか書くまいか迷った末に
コウノトリさんの為に書きます!
この人でなきゃ 幸せになれないってこともあるんですよ^^
万人に幸せを説くのは 無謀・・かも・・です。

コウノトリさんも コウノトリさんでなきゃ
幸せになれないって人 と、出逢えれば
その意味が きっとわかると思いますよ。^^



Posted by うさこ at 2005年11月25日 23:32
「愛」、大きすぎて難しいですよね。

どんな形にしろ自分で選んだ愛は、いづれの方向に向かっても責任を持って
最大の喜びであったり、最小限の後悔であってほしいと思うのですが・・・。

結婚して2○年、パートナーに対して不満もあります。(もちろん互いに!)
時には言い争いもします。(この分からず屋!)
それでも別の生活など考えたことはない。
他の誰かだときっとそんな図にはならないし、
それが自分に与えられた(自分が選んだかな)ものなら、一つ一つクリアしていくしかないから。
互いの心の奥の奥に住んでいる思いやりが見えたり、見えなかったりの繰り返し。
変化がないよりいいかも〜。
どっちにしても愛情は住んでいるんです。
もちろん感謝や尊敬も同居していますよ。^^

人に愛や幸せを説くことは出来ないから
自分の思う愛を書いてみました。
私も幸せは願ってなるものではなく
感じるものだと思っています。
たとえそれがほんの一瞬でも。
Posted by michiko at 2005年11月26日 01:51
コッチは携帯じゃないと読めないので、携帯からです。

「幸せ」かぁ…。
独身の私には、何を基準に幸せって言うのかよく判らないのです。
結婚し妊娠・出産を経験し、子育てをすることが「幸せ」であるなら、私には経験出来ないから「幸せ」になれない。
けれど、人それぞれ「幸せ」の感じ方って違うと思うから、自分に合った「幸せ」を探したいと思います。
Posted by きよきよ@携帯 at 2005年11月26日 08:33
うさこちゃん、お帰りなさい。
・・っていつの話?なんて言われちゃいそう。
月明かりとろうそくの明かりの元で編物・・・なんかほっと和む温かさだね。
そういう温かさが欲しくなります。

女の一代記、私もすっごく待ち遠しくしてました。
りえちゃんよかった〜。
天見祐希の歌声を聴けたのもうれしかったし。(宝塚見に行ったことないからね)
もちろん、それ以上に寂聴さんや越路吹雪の内面に触れられたっとことが、とても感動でしたけどね。
あれほど壮絶ではなくても、ア〜この気持ち、感覚わかる気がする・・・って。
なんて言ったら偉すぎるかな^^;
今夜は杉村春子ですね。
見る見る、絶対見るのですわ!!
Posted by あすなろ at 2005年11月26日 17:26
 『通りすがりのコウノトリ』さん、はじめまして。
恵まれすぎた環境の中で生きているああもしたいこうもしたいと欲望や煩悩に振り回されることもありますよね。
 何が幸せなのか人によってさまざまで感じ方もちがいますよね。上を見ても或いは下をみても始まらないと思います。結局は自分自身の問題だし自分がどう生きるかに寄っても異なります。私は生かされている喜びが幸せなんだと感じていますが・・・。
 時には自分に嘘をつくのではなく、もっと自分をよく知り、気持ちより自分という一人の人間を大切にすることも必要かもね。
 『通りすがりのコウノトリ』さんこそどうか、お幸福に…。



Posted by ほっとコーヒー at 2005年11月26日 17:37
ジョバンニはああと深く息しました。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙(なみだ)がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

Posted by 宮沢賢治 at 2005年11月27日 01:05
僕も今は分からない。
でもいつか実感できる日が来るような気がする。
Posted by たくろう at 2005年11月27日 01:11
☆ みっちゃん、素敵なコメント置いててくれて
ありがとう・・。
最初の言葉、いい言葉ですね・・。
みっちゃん、やっぱり大人やなぁ・・と 思う。

例え どんなに愛した人とでも 毎日の生活となると
楽しい、嬉しい、こと 以外にも
見たくなかった姿とか 聞きたくないような言葉とか
相手の ”嫌な一面”とも付き合ってかなきゃ
ならないでしょう。

自分が 完璧な人間じゃないように
相手も 完璧な人間じゃない。
でも、自分のことは しっかり棚に上げて
愚痴が止まらない人も 少なくないと思うんですよ。

よっぽど我慢ならない時は 吐き出した方がいいとは思うけど、
なかなかね、その度合いが わからなくなるのか
つまらないことにも 延々不満ばかりを 口にするようになること、多いですよね・・。

みっちゃんは そこんとこ
感謝や尊敬の気持ちが ホントにちゃんとあるから
罵ったり そういうのがないのかな・・
嬉しい、楽しい事には 手放しで喜んで
でも、嫌な面は 別。頭にくる。って
そういう身勝手さを 感じないんですよね・・。

きっと「普通だよ。」って 思っているでしょうけど
素敵なことだと思います☆

Posted by うさこ at 2005年11月27日 01:21
☆ きよきよさん、
”結婚し妊娠・出産を経験し、子育てをすることが「幸せ」であるなら・・”
この言葉、単純な発想で 口にした人になら
あほちゃうか。 そういう発想は愚の骨頂。
って突っぱねるところですが
きよきよさんにとっては 切実だと思うので
私は何も言いません。

けれど、同じくきよきよさんのいう
”自分に合った「幸せ」を探したいと思います。”
こういう生き方で キラキラ輝く女性の方が
私は ずっと尊敬出来ます。^^
Posted by うさこ at 2005年11月27日 01:36
☆ あすなろさn、おはよう^^
りえちゃん、可愛かったね〜!
役の晴美さん、かなり醜態もさらしてたけど
りえちゃんだったから 作品としてサラリと観れたのかな
実際は もっとどろどろきっついなぁ〜;
だったのかも知れないなぁ・・ ちらっとそんなことも思ったよ(笑)

天見祐希さんの 落ち着いた雰囲気もよかった!
内容は こっちの方が ジ〜ンときた。(笑)
自分の好きなことに 真っ直ぐな姿も
大切にしている姿も カッチョよかったですよネ。

ドラマの中の 晴美さんの 小説に対する
ジタバタした感じとは またちょっと違う
ひとつ上の 大きさみたいのがよかったなぁ^^


トップ絵・・ あったかい気持ちになって
いいなぁ〜^^ って感じてもらえたら
うれしいです♪
私も 描きながらえぇなぁ〜って思ったもん((爆))
Posted by うさこ at 2005年11月27日 09:33
☆ ほっとコーヒーさん、コウノトリさんへのレス
置いといてくれてありがとです^^
へぇぇ〜^^ でした。
なぁにが へぇぇ〜^^ なんだか(笑)

”もっと自分をよく知り”っていうところ、
そうだな・・もっともだな・・って思いました。
人様の幸せを願っても 自分にそれ程の影響力があるだろうか
良い人の顔は 出来るかも知れないけれど
実際には 幸せになって欲しいと願う人に
言う以上、どれ程自分が 責任を持って関われるか。

そうそう 関われるものでもない。
出来ることといったら 一緒に喜んだり 楽しんだり
辛さや 悲しみなんていうのに対しては
ただ話を聞いて 受け止めること しか出来ない
代わってあげることは 出来ない。

そういう事でさえ、深く関われる相手というのは
じっくり付き合える
ごく限られた身近な存在だろうし。
言葉をどんなに尽くしても まず己が
どれ程の人間なのか 知らなければ
空回りの自己満足で 終わるのかも知れない
そんなことを思いました。

話は 少しずれてしまったかも知れませんが
”もっと自分を良く知り”の言葉を受けて
『 自己反省 』として 書きましたf^^;

Posted by うさこ at 2005年11月27日 14:40
☆ あぁ。 いつだったか 君と話したね。
あの頃僕は ”みんなの幸(さいわい)の為ならば
僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。”
本当に そう思っていた。

あの頃の僕は さいわいが何かを
そう、何が自分のさいわいなのかさえ わからずにいたからね
この身が 何処かの誰かの 役に立てば
自分の存在価値を 見出すことが出来るような気がしてたんだ。

けれど 今は ほんの少ぉし違うんだ。
僕のからだを 百ぺん焼けば
どこまでも 一緒に行こうと決めた君が
百ぺん涙を流し 百ぺん苦しむ
なんとなく そういうこともわかってきてさ。

本当のさいわいが何か まだ わかってはいないけど
何ていうのかな・・カムパネルラ、
君と本当のさいわいを
探し求めつつ 歩くことも もしかしたら
僕にとってのさいわい、なのかも知れない
そんなことを 思うようになったんだ・・。


と、その後のジョバンニが 云ったかどうか。
ケ〜セラ〜セラ〜なるよぉ〜おにぃなるぅ〜♪

話、勝手に作るな!
ついでに歌うな; ヾ`。´ ←宮沢賢治。(笑)





☆ たくろう、今、わからなくても
霧が晴れたら そこにあるのは
どんな景色がいいだろうって

想像して 思い描いて
その景色に向かって 進むことも
実感出来た時の 有難さを知る為の
大切な道のり、なのかも知れないね。




Posted by うさこ at 2005年11月27日 15:58
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